最近思った事。
家族から「性同一性障害には見えない」「どう見ても女じゃん」のように言われたことが何度もあります。
「そういう細かいところ文句言うところとか女々しい!女っぽい!だからお前は女だ!」
みたいな言い方です。
でもそれって、もし僕が「最初から男」だったら、言われない言葉だと思います。
そういう性格の人ってたくさんいると思います。今だと、草食系男子?女子力高い男子?そういう性格が許されて、性同一性障害の性格が許されないんでしょうね。
そんなこと言ったらピンからキリじゃないか…そりゃあそうですよ!
僕からしてみれば、性格とか気質とか、そんなのはどうでもいいんです。
GIDでない男らしい性格の女性だっています。女々しい男性だっています。
問題は性格じゃなくて、自分の心と体の性別の違和感なんです。
曰く「女々しい」はずなのに、なんで僕はこんなに自分の体に嫌悪しなきゃいけないんですか?普通の、まったく嫌悪感のない男らしい性格の人が性同一性障害になるんですか?
嫌悪感があるから生きづらくて、自分の体を変えたいとまで思って。
そんなのを性格とか、趣味嗜好で判断しないでほしいと思います。
だからGIDには、
「女性らしい性格を持った男性の心の女性の体」の人や
「男性らしい性格を持った女性の心の男性の体」の人がいると思います。
でもそれじゃあ一般人には理解してもらえない。
無理して男勝りを演じたり、無理して女々しく演じないと理解してもらえない。
本当に「普通の人」がうらやましいです。
一般人からしたら普通じゃない僕たちは、いろんな事を考えます。
こう行動したら男性(女性)っぽいかな?とか、こういうセリフとかっぽくないかな?とか。
でもそれでも、理解できない人には「本当に」理解できないのかなとも最近思い始めました。
通院している先生にも言われました。
「理解できない人はいるから、そしたら『ああ、この人は理解できない人なんだ』って思うしかないよ」
苦手な服飾店・・・
いつでも不安なのが、新しい服を買う時です。
子供の頃からずっと女性下着コーナーだけが苦手で、吐き気がするほど嫌です。
なんでこんな嫌な場所に母親はすんなり入っていけるのか、僕まで入れようとするのかずっと理解できませんでした。たぶん、母親からしたらこっちが嫌がることが理解できないんだと思います。
今は、なぜ嫌なのかは自分は理解できてるから、まだ昔よりはマシになりました。
そして今夏、ついにネットでナベシャツというものもゲット!!\('ω')/上には悩まなくなりました!
もう上はネットで買おう!・・・そう思うとすごく気が楽になって、すごく開放感があります。あのコーナーに行かなくてもすむっていう安心感も。
普通の店で買えるものじゃないので、やっぱり値段は一着に対してそこそこしますが、でも自分の心が痛められるよりは良いです。
といってもやっぱり一度に何着も買えないのでちょっとずつ増やしていくしかないですが・・・!
髪切ってきました!
たまにはいつもの気持ちのまとめ以外の事も書こうかと思います。
最近はちょっとでも男っぽく、と思って髪はかなり短く・・・してるつもりなのですが、意外と伸びるのが早いんです・・・。
「前回切ったのが2ヶ月前だから、2cmくらい切りましょうか」
と言われたけど、個人的にはもっと伸びてる気持ちがしたので、もっと思い切りとお願いしました。
「短い方が動きやすいとかですか?」
「いえ、ただちょっとでも男っぽく・・・」
「あ、じゃあメンズカットの方が良いんですね~」
そんなやり取りです。メンズカット!なんかメンズって言われると嬉しい!
美容院行くとすぐ出されるのは女性用のヘアカタログですが、言えば男性用も出してくれるのにちょっと感動です。
そりゃあ、背も低いし、声も高いし、髪型とか服装しか変えられないけど。それくらいは男性用だっていいじゃないですか。
自分のできるところから、手の伸びるところだけでも、心が落ち着く場所を求めて生きたいです。
今は髪型と服装だけ。それで少しでも理解してくれる人が増えたら、もっと先の相談もそういう人たちにしていきたいと思ってます。
赤いランドセル
最近、夏休みも終わって小学生の姿をよく見るようになって思い出しました。
僕の時代は、男子は黒、女子は赤、というのが一般的でした。
でも双子の人は紺だったり深緑だったり、ちょっと特殊扱いされていました。
小学校入学前にランドセルの話になり、何度も黒がいい!と泣いた覚えがあります。
今でこそ、女子なら水色やピンクやオレンジなど、「何色がいい?」みたいに選べる気がします。女子でも黒や紺の子を見ると、今でも羨ましく思えてしまいます。
持っていたランドセルは赤でした。それが本当に嫌で、セットでついていた緑のカバーを6年間ずっとしていました。
ダサいとか言われても、赤いランドセルを背負うよりは良かったんです。僕にとっては赤いランドセルが=女子とされている事が本当に嫌でした。
その時代の母校の1年生は、男子はキャップ、女子はハットという男女種類の違う帽子を被る事も決まっていました。その帽子で男女差つけられるのがすごく嫌でした。
その時に、きっともう嫌悪感は始まっていたんだとおもいます。
そう思うと、その時の気持ちは尊重してあげないといけないと思います。
小学校入学の時、その反応がどうなのか、ちゃんと聞いてあげたいです。
昔と今
悩みを話していて良く聞くのが「私も昔そうだったよ~」みたいな台詞。
でもそんなのは聞きたくないんです。じゃあ今は?今はどうなの?ってなります。
僕が男装する事や男になりたいっていう話をしても「私も昔そうだった」って言われます。今普通の女性として生活している人に。
本当に昔そうだったなら、解決策も知ってるはずだよね?ここまで死にたくなるまでなったなら、そこまで生きてられる方法も分かってるはずだよね?と言いたくなります。
そういう人に「でも今は違うんですよね」と言うと「今はね」と、そう言います。
別に自分はその人の過去の体験とか全然聞きたくないんです。絶対に違うから。絶対に違うって分かってて「あーそうなんですかー」って聞いてても何の解決にもならない。
知りたいのは今、どうやってこの世界を生きていけばいいのか、なんです。
だから「昔から今」もずっと同じ状況の人と話がしたいんです。
「昔そうだった。今は違う」人と話しても、たぶんその人は「若さゆえ」の理由だから。性同一性障害としての悩みじゃないから。
「昔そうだった」っていう言葉は僕にとって「貴方も時間経てば治るでしょ」のような馬鹿にされてる気分になるんです。
僕と私と俺とウチ
個人的に使う一人称なら自由であればいいのになあとよく思います。
確かに普通は自由なはずです。でも自由すぎるのもどうかと思います。
僕はこの年になるまで(女性として育てられていたので)「私」としか言えた事がありません。中学の時に一度、親の前で「僕」って言った事がありますが怒られましたw
「私」は公的一人称としてなら男性も女性も使うからいいのですが、やっぱり友達の間なら好きな一人称で言ってもいいですよね。ただ、そんな過去があるのでリアルでの勇気なかなか出ません・・・。
最近は女性でも「俺」とか「僕」を一人称で使う人が増えてきて、それがちょっと苦手意識を作っています。もし“私”が「僕」ってリアルで常用し始めたら、昔以上に風当たり強くなるんじゃないか・・・?という心配がそこにあります。
その女子達はノリやその時の流れで「俺」や「僕」を使うようです。もし使って、余計にそんな人たちと一緒にされたらどうしよう?という不安が高まります。
ただ、少しでも男っぽくなりたいだけなのに、それすらも難しくなる世の中。
分かってくれる人なら言えるけど、分かってくれない人には言えないのは、この感情について全て繋がっているのかもしれないです。
性的少数者
性的少数派(LGBT)っていう4区分について先日母親と話していました。
でも、LGBTって、その組み分けってどうなんだろうなーと思いました。
確かに同性愛者も両性愛者も少数派だと思いますが、最近話題になっている同姓婚とかで、ネットなど見ていると同性愛者や両性愛者はわりと多くいるイメージがあります。
でも性同一性障害はそんなに表に出てくるものじゃないです。むしろネットの中なら自分の心のままでいられるから、わざわざ表に出す必要もありません。
LGBTを比率で言ったら(2.5:2.5:4:1)くらいなんじゃないかって思います。
それに、LGBは同性愛と含める理由は分かるけど、Tまで同性愛だとされたら、混乱します。
だって好きになるのは心なんだから、心の性別で判断してくれてもいいじゃないですか。Tが同性愛者の格付けだとしたら、じゃあ何が正しくなってくるんでしょうね?
そんな事を考えたら、少数者の中の少数である性同一性障害って、なんなんですかね。
普通の人が心で他の人を好きになるのは何も言われないのに、GIDは心で他の人を好きになることすら世間からよくない目で見られる。
FtMの人なら「女性として女性に好かれたいわけじゃない、僕は男性としてなんだ」
MtFの人なら「男性として男性に好かれたいわけじゃない、私は女性としてなんだ」
って言っても、信じてもらえないんですよね。
何度も僕の心が男だって言っても、その部分だけは信じてくれないようです。
・・・むしろ、そんな話振ってきた時点で最初から信じてくれてないのかな?w
早く男になりたいです。