FtMの日常

性同一性障害の心境や、そういう人と繋がりたいと思いました。

GIDを知らない人に言われた時

僕が始めて男性の格好をしたときの事なのですが、知り合いの人に

「女性がそういう格好するのはよくないね」

と言われました。

その人は僕の事をGIDだと知っていたのか知らなかったのか分かりませんが、男装癖に対してと同じような感想を言われました。

「女性ならきちんとスカート履くのが常識でしょう?」

「いくらスーツでも、女性用のパンツスーツもあったんじゃないの?」

ああ、またしても『女扱いか』と思いました。

女性だから、常識的に考えて、・・・聞き飽きましたよそんな言葉。僕がここまで耐えてきて、もう精神的にきつくなってきて、それで自分で男性用スーツを手に入れたのです。

なのにその葛藤も一蹴です。

 

個人的な意見ですが、僕は、性同一性障害でもないのに女装・男装をしたがる人が嫌いです。自分がかわいく・かっこよく見られたいから、似合いそうだから・・・。

本当に女性と同じ格好をしたくても、本当に男性と同じ格好をしたくても、背の高さや顔立ち、声などでできないGIDはたくさんいるはずです。そういう人が辛いのを我慢しているのに、何も(そういうことに対して)苦労をしていない人が簡単にしている世の中が苦痛です。

そして、そのような人と同じような『ノリ』で着たと思われたら・・・やるせません。

僕はリアルでは背も低いですし、声も女声そのものです。そんな僕がそこまでの決意に至った理由も調べようともしないで「女性としての常識」を押し付けられたのです。

知り合いにそのような「常識」を話されている間、すごく悲しくて悔しくて、泣きそうでした。涙を我慢するのに精一杯で、「常識」の話は最後までまともに聞けませんでした。

そして最後の一撃が来ました。

「病院に行ってるっていうのは、それを治すために行ってるんでしょう?治ったら今までどおり(この辺から覚えてない)」

・・・治す?治すって何?

心を治すって事でしょうか?でも、心を治す=心を別のものにするっていうことは、もうそれは僕じゃないと思います。

男性だと思うこの心を、「あ、やっぱり女性だったー」みたいに治せると思っているのでしょうか?

そんな治り方するのであれば、それはGIDでもなんでもなく、若いとき特有の気の迷いや勘違いだと思います。それなら治ると思います。

でも、本当のGIDの人は年齢関係なく、ずっと悩まされているのだし、気の迷いで引き起こる楽しい事などありません。苦痛ばっかりです。

こんなに苦悩して、辛くて、葛藤した心を簡単に「治せる」と思わないで欲しいのです。おそらく本当の意味で「治る」というのは、体も心と同じ身体になることでしょう。

それは現状無理な事です。いくら手術をしても本当の意味で逆の性別にはなれません。ずっと治療を続けていかなきゃいけないんです。

逆に本当のGIDの人が心に体の性だと偽り続けても、苦悩は続くと思います。

その時から、他の人に言う事が怖くなるより逆に、もっといろんな人に性同一性障害を知ってもらわなくちゃいけない、と思いました。もう、今は初期のそれであることの恥ずかしさは殆どありません。(さすがにネット内だけの関係の人に言おうとは思いませんが)自分についてもっと知ってほしいと思った相手にはどんどん伝えていきたい勢いです。

言ったその時は信じてくれなかったり、困った反応されるかもしれないけど、たぶん家族以上にそのような反応する人はいないと思います。そして、相手もそんなに詮索はしてこないと思います。そのような人が身近にいるっていうことだけでも知ってもらえるだけで今は十分だと思っています。

確かに言うことによって、今回のように否定されまくって傷つきますが、知ってくれる人が増えればそのような事も減ると思います。

 

理解してくれないなら、存在を知ってもらえればいいんです。

本当は理解して欲しいけど、本当の理解はたぶん神様以外してくれないと思うので。

 

 

 

 

 

 

母親にカミングアウトした時

昨日の予告(?)通り、親に(自分がGIDの可能性が高い事を)カミングアウトした時の事を書こうと思います。

きっと同じような状況の人もいたのではないでしょうか。

 

 

その時、丁度母親と二人で外を歩いていました。他に話す内容がなかったので

「私さ、性同一性障害かもしれない」

と、ストレートに打ち明けました。でも、心臓はすごくドキドキしていました。

反応については考えられなかったけど、今まで黙っていた自分の違和感をこの時初めてリアルの親に打ち明けたからです。

すると母は普通に答えて言いました。

「え、そんなのただの現実逃避でしょ?」

その瞬間、僕の中の熱い勇気のドキドキが一気にサーッっと冷めていくようでした。

自分がずっと悩んで、葛藤して、それでもずっと引っかかっていたもやもやを『現実逃避』の一言でシャットアウトされたのです。

今でこそ母はそのときのことを「ごめんね」って言ってくれますが、その時の事は本当にショックでした。

それから、僕はネット内だけで、教えてくれた友人と、一部の気の置けない友人のみと「それ」について話す事にしました。

それ以上親に言うのが怖かったのです。言ってもまた否定されるんじゃ?信じてくれないんだろうな、と。

でもそのままじゃ、今までどおり「女扱い」してくる。それがすごく辛かったです。

言っても信じてくれないし、言わなくても自分が辛い。

母親がダメならと、父親にも言いました。直接はもう無理だと思ったのでテレビを見ていたときです。ドラマでGIDが取り上げられたシーンで「私もこれかもしれないーw」と、自分が傷つかないようにはぐらかしながら言った覚えがあります。

すると父は、

「ふーん、じゃあミカンチノミーは男になりたいの?・・・ふーん」

それだけでした。でも否定されなかっただけ、楽でした。

 

それからしばらく自分の中の悩みが膨大化したある日、図書館で性同一性障害だったある男性(元女性)の手記を見つけました。自分で言っても、自分が辛くなるなら、本を読んでそういう状況の人がいるってことを知ってもらおう、と思ったのです。

「自分が」って言わないのなら、母親も理解しやすいだろう、と思いました。

それでその本を借り、母親に「これちょっと読んでみてよ」と渡しました。

数日経っても、その本を母親が読んでいるところを見なかったので「ちゃんと読んでくれてるの?」と聞くと「うん、読んでるよ」と栞を挟んだページを見せてくれました。

それならまあ、返す時にもう一回感想聞いてみようと思いました。

そんなある日、居間で昼寝をしていると母が父に「この本、ミカンチノミーが読んでみてって」と話しているのが聞こえました。そこからは寝たフリをして、話を聞いていました。起きたら母親は話すのを止めるだろうと思いました。

聞いていると、母はすごく悩んでいる様子。でも傷つけられた事のほうが辛かったので、心の中では(もっと悩めばいいのに)と思っていました。

その本が読み終わって、少しは親も「理解」してくれたと思います。少しずつですがそういう類の本を借りてきて読むようになっていました。

 

今でもまだ分かってくれない事も多いですし、母親は未だに認められていない部分の方が多いようです。

僕が他の人に「男の子」として見られているのを見るとすごく悲しそうな顔をします。

だから家族の中で母だけがまだ理解しようとしてくれていないと感じてしまいます。「どうして?」と聞いても「だって昔から知ってるから」と言われます。僕はその「昔」から演じて、偽ってきた気分でいます。

女の子のように振舞ってきた事が(振舞えていたかは別で)、GIDだと認識して「演じていた自分」にしか思えなくなりました。だから、認識した時にどっと疲れが出たんだと思います。教えてもらいスーッとしたと同時に、もうあんな恥ずかしい事は出来ないと思いました。自分は女の子であることがすごく恥ずかしかったのです。

 

今でも理解はされていませんが、言った時よりはマシになってきていると思います。

こういう事が嫌だとか、そういうのを言うのはやっぱり勇気いりますけど。

 

 

 

 

私がGIDであることを自覚したきっかけ

今の、自分の状況を整理していくことが大事かと思ったので

つらつらと書こうと思います。元々改まった文章苦手ですし。

 

 

性同一性障害だと自分で認識したのは1年半くらい前だったと思います。

それまでもずっと違和感や嫌悪感を抱いていたのですが、その気持ちを自分は

すごく恥ずかしく感じ、誰にも言えていませんでした。

「その年齢だと誰でも思うことだよ~」とか言われたらなお更。

 

小学校入学の時に「赤いランドセルが嫌だ」と泣いたのも、スカートが嫌だったのも、「誰でも思うこと」とか言われたら、「じゃあ何で自分だけこんな苦しいの」って、それが頭の中をめぐっていました。

頭の中で自分のイメージは男の子でした。自分をキャラクターに置き換えると、毎回

男のキャラクターでした。

 

中学校で制服になり、スカートが強制されました。

どうしても嫌だったので少しは気が楽になるように、ずっと下に体育着の半ズボンを

着ていました。

夏になると「半ズボンじゃ暑いでしょう、スパッツ買ってきたよ」と言われました。

自分の中では「何でそんな女子っぽいのはかなきゃいけないの?」とそれだけで嫌だったので、一度も履いたことがありません。

暑くて蒸れるより、自分が女子であることの方が嫌でした。

だから、月に一度は死にたくなります。

 

高校は共学になって数年の工業高校でした。だから、小学校や中学校に比べすごく生きやすかったです。周りは男子ばかり、女子もクラスに数人。

実習中は男子も女子も作業着だったので、スカートを履かなくても良かったのです。

それでもやっぱり、教室で男子に混じって着替えようとすると他の女子に止められましたがw

自分の感覚がおかしくて、女子っぽく振舞えばもっと生きやすくなるのかな?とか、 女子っぽく振舞っていれば、いろいろ自分の中でも(自分の身体を)認められるのかな?と思い、高校では髪を伸ばしていました。

しかし、感覚や感情は変わらず、「女子っぽくなるため」ではなく、「切るのが面倒」という理由に変わっていっていきました。

「少しは女の子らしくしなさい」という言葉を聴くと「じゃあそれの逆を行けば男に見てもらえるのかな」とも思い、廊下で寝たり、窓辺でふざけたりもしました。

でも実際それは「だらしない」という言葉で片付けられました。女子に対しての「らしく」という言葉は、反対をいっても男子に対しての「らしく」にはなりませんでした。

高校時代の苦痛は、やはりプールですかね。小学校中学校は入らなくても卒業できましたけど、高校だと単位が取れないと卒業できません。もう僕はこの身体では一生プールには入らないつもりです。

3年の時に進路の話になり、工業系の会社をずっと志望していました。しかし、「君の成績なら申し分ないんだけど、力とかなさそうじゃない?せめて男子だったらね・・・」という理由で数件に断られました。

確かに、僕は女子の中でも痩せているタイプで力がありません。背も低いです。だけどこの時のことは本当にショックで、何で僕の身体が男子じゃないんだ!と悩みました。

 

ここまでが学生時代です。この時は自分がなぜこんな気持ちを抱いているのか誰にも言えませんし、信じてもらえないと思ってずっと心に閉じ込めていました。

就職も決まらず、そのまま鬱病になり家にいました。

それからしばらくしたある日、ネットゲームで、性同一性障害の人と出会いました。その人は僕より症状は軽い(?)というのか、「女子であるうちは活用できることは活用しよう」というタイプでした。その人に、「僕も似たような気持ちですごく辛い」ということを話したら、「それって性同一性障害じゃないの?」と言われ、衝撃的でした。それまで避けてきた答えだったからです。その瞬間全ての謎が解けたくらい頭の中がすっきりしました。

衝撃的だったので、鬱病で通っていた精神科の先生にも話しました。するといくつか質問してきてくれ、「その可能性が高いね」という結論に至りました。

自分の今までのもやもやが、そのような名称に変わり、他にも同じような状況の人がいると知ると「恥ずかしさ」が殆どなくなりました。

それでも、ネット内で女性であることをばれるのは嫌ですし、ネットくらいは男扱いされていたいです。

自分で自覚後も親に言えていない日々が続きました。

親に言うのはすごく勇気が要りました。「恥ずかしさ」ではなく「恐怖」でした。

 

違和感から、自覚するまでは大体こんな感じです。

他の方はどういうタイミング、またどういう状況で自覚したのか知りたいです。

 

次回、親にカミングアウト!結末は・・・!? 

はじめまして

 はじめまして、私はミカンチノミーです。

性同一性障害GID)のFtMです。

ブログを始めようと思ったきっかけは、自分のような心境の人が身近にいなくて、

気持ちを共有する相手が欲しかったからです。

家族や友人に話をしても「当事者じゃないから・・・」とよく言われてしまいます。

確かに、その通りだと思います。

ブログで日々思ったこと等書いて、当事者同士が繋がれたら嬉しいと思います。

 

これから少しずつ書いていけたらいいなと思っています。