FtMの日常

性同一性障害の心境や、そういう人と繋がりたいと思いました。

私がGIDであることを自覚したきっかけ

今の、自分の状況を整理していくことが大事かと思ったので

つらつらと書こうと思います。元々改まった文章苦手ですし。

 

 

性同一性障害だと自分で認識したのは1年半くらい前だったと思います。

それまでもずっと違和感や嫌悪感を抱いていたのですが、その気持ちを自分は

すごく恥ずかしく感じ、誰にも言えていませんでした。

「その年齢だと誰でも思うことだよ~」とか言われたらなお更。

 

小学校入学の時に「赤いランドセルが嫌だ」と泣いたのも、スカートが嫌だったのも、「誰でも思うこと」とか言われたら、「じゃあ何で自分だけこんな苦しいの」って、それが頭の中をめぐっていました。

頭の中で自分のイメージは男の子でした。自分をキャラクターに置き換えると、毎回

男のキャラクターでした。

 

中学校で制服になり、スカートが強制されました。

どうしても嫌だったので少しは気が楽になるように、ずっと下に体育着の半ズボンを

着ていました。

夏になると「半ズボンじゃ暑いでしょう、スパッツ買ってきたよ」と言われました。

自分の中では「何でそんな女子っぽいのはかなきゃいけないの?」とそれだけで嫌だったので、一度も履いたことがありません。

暑くて蒸れるより、自分が女子であることの方が嫌でした。

だから、月に一度は死にたくなります。

 

高校は共学になって数年の工業高校でした。だから、小学校や中学校に比べすごく生きやすかったです。周りは男子ばかり、女子もクラスに数人。

実習中は男子も女子も作業着だったので、スカートを履かなくても良かったのです。

それでもやっぱり、教室で男子に混じって着替えようとすると他の女子に止められましたがw

自分の感覚がおかしくて、女子っぽく振舞えばもっと生きやすくなるのかな?とか、 女子っぽく振舞っていれば、いろいろ自分の中でも(自分の身体を)認められるのかな?と思い、高校では髪を伸ばしていました。

しかし、感覚や感情は変わらず、「女子っぽくなるため」ではなく、「切るのが面倒」という理由に変わっていっていきました。

「少しは女の子らしくしなさい」という言葉を聴くと「じゃあそれの逆を行けば男に見てもらえるのかな」とも思い、廊下で寝たり、窓辺でふざけたりもしました。

でも実際それは「だらしない」という言葉で片付けられました。女子に対しての「らしく」という言葉は、反対をいっても男子に対しての「らしく」にはなりませんでした。

高校時代の苦痛は、やはりプールですかね。小学校中学校は入らなくても卒業できましたけど、高校だと単位が取れないと卒業できません。もう僕はこの身体では一生プールには入らないつもりです。

3年の時に進路の話になり、工業系の会社をずっと志望していました。しかし、「君の成績なら申し分ないんだけど、力とかなさそうじゃない?せめて男子だったらね・・・」という理由で数件に断られました。

確かに、僕は女子の中でも痩せているタイプで力がありません。背も低いです。だけどこの時のことは本当にショックで、何で僕の身体が男子じゃないんだ!と悩みました。

 

ここまでが学生時代です。この時は自分がなぜこんな気持ちを抱いているのか誰にも言えませんし、信じてもらえないと思ってずっと心に閉じ込めていました。

就職も決まらず、そのまま鬱病になり家にいました。

それからしばらくしたある日、ネットゲームで、性同一性障害の人と出会いました。その人は僕より症状は軽い(?)というのか、「女子であるうちは活用できることは活用しよう」というタイプでした。その人に、「僕も似たような気持ちですごく辛い」ということを話したら、「それって性同一性障害じゃないの?」と言われ、衝撃的でした。それまで避けてきた答えだったからです。その瞬間全ての謎が解けたくらい頭の中がすっきりしました。

衝撃的だったので、鬱病で通っていた精神科の先生にも話しました。するといくつか質問してきてくれ、「その可能性が高いね」という結論に至りました。

自分の今までのもやもやが、そのような名称に変わり、他にも同じような状況の人がいると知ると「恥ずかしさ」が殆どなくなりました。

それでも、ネット内で女性であることをばれるのは嫌ですし、ネットくらいは男扱いされていたいです。

自分で自覚後も親に言えていない日々が続きました。

親に言うのはすごく勇気が要りました。「恥ずかしさ」ではなく「恐怖」でした。

 

違和感から、自覚するまでは大体こんな感じです。

他の方はどういうタイミング、またどういう状況で自覚したのか知りたいです。

 

次回、親にカミングアウト!結末は・・・!?